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本当に世界とつながっているか

 先日、劇団四季「コーラスライン」の秋田公演を観にいった。
 この演目は、この日が初めての観劇だったが、迫力あるダンスの応酬はとても見応えがあり、また、時おり垣間見えるショービズ界で生きる厳しさや、登場するダンサーひとりひとりに秘められた物語などによって、作品全体に深みや奥行きのようなものができていて、果たして私は、ぐっとステージに引き込まれていたのだった。この作品が長い間愛され続けてきたのにも頷ける。
 ここで話は変わるが、この公演中にこんな出来事があった。
 一般的にミュージカルや演劇の公演では、本番中は携帯電話やスマートフォンの電源は切るようにアナウンスされる。使用は云うまでもなくバツである。そして、この日も開演前に何度かこのような案内があった。
 だというのに、本番が始まり公演も中盤にさしかかってきた頃、私の斜め前の席に座っている人(以下『その人』)がおもむろにスマートフォンを取り出して使い始めたではないか!本番中なのに!
 暗転した劇場内でスマートフォンの液晶の明かりはものすごく目障りなので、私はその人がスマートフォンを使い始めた瞬間に注意をしたのだが、だからといって、この項においても、観劇マナーについてあれこれととやかく云うわけではない。これは、マナー違反を怒ったり不愉快に思う以上に、私にとっては興味深く、色々と考えさせられる出来事だったのだ。
 注意をした際にちらりと見えた液晶画面から察するに、どうやらその人はメールの確認をしているようだった。メールの送受信は、スマートフォンの主要な使用目的の一つである。別段、変わったことをしているわけではない。だが、今回について云えば、その使用状況があまりにも特殊である。それは、舞台の本番中なのだ。
 果たして、目の前に最高級のエンターテイメントがあるのに、それよりもスマートフォンに手垢を擦ることを優先してしまう人の思考とはどんなものだろうか?非日常体験を楽しめる劇場にいながらにして、メールのやりとりが気になって仕方がない人の思考とは?
 携帯電話やスマートフォンは、コンパクトでありながら、インターネットを楽しんだりメールやSNSで仲間内とのやりとりをすることができる。まさに、どこにいても世界とつながる便利な道具として広く認知され、かつ世間に普及しているように見える。
 しかし、この場合はどうだろう。ミュージカルの公演中にスマートフォンを操作してしまった、その人の場合は。
 私が思うに、あの状況で、本来その人がつながるべき世界というのは、まさしくその時ステージで行われていた舞台公演ではないのだろうか。事実その人は、そのために決して安くはないチケットを求めて、劇場の座席に落ち着いていた筈だ。
 しかし、あの中でスマートフォンを使う、メールの確認をする。それは本当に世界とつながっているということにはならないだろう。私の眼には、あの人が世界と自由につながっているようには少しも見えなかった。それよりもむしろ、あの空間―非日常を楽しめる素敵な空間!―にいてまで、内輪の小さな関係につなげられているように思えたのだ。その人がつながっていると思っている世界は、自分だけの小さく狭い世界のことであり、その人はただただ自分の世界に閉じこもっていたのに他ならない。
 私はスマートフォンは持っていないが、それと類似するタブレット端末は有している。それら、生活を豊かにする筈のガジェットも、使い方や認識次第で、自分の視野を狭めたり、自由な生き方が阻害されることもありそうなのだと、私はその人から学んで、肝に銘じておくべきであろう。
 顧みて、果たして、自分はどうなのだろうか。何の気なしにやっているTwitterは?そして、いま執筆真っ最中のこのブログどうか。既読未読のマインド・ゲームに気を取られて、真に目を向けるべき光景を見落としてはいないか。
 自分は本当に、この世界とつながっているのだろうか・・・。

2016-04-04 22:41 : 日記 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :
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筆者紹介

シバケン

Author:シバケン
Base:秋田消滅可能性都市

趣味はお散歩、特技は悪だくみ

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